『 この10年間、活動成果をあげていない人たちか 』

2018年1月11日   中山 明俊



10年ほど前に活動していたグループの会合に1月11日に出席した。
 グループの活動テーマは「生涯現役社会をどう作るか。その実現を図る」というもので、当日は新年の初会合、一人一人の今年の活動目標を発表する、ものであった。
 会合で話し合われている状況は昨年の活動状況の反省が多く、今年これで行くというような行動的で前向きな発言内容はほとんど聞かれなかった。ほぼ10年ぶりなので、少しばかりの私の紹介の後、すぐに発言を求められた。
 私は出席して最初に感じた印象を「10年前とほとんど変わっていないですね」で、はじめた。10年間と言えば、かなり長い期間である。その長い期間にこのグループはどんな成果や実績を上げてきたのか、それを全く感じなかった。
 司会者は「生涯現役社会を実現するプロデューサーを作っていく」と今日も発言した。このテーマは、10年前にも聞かれた言葉である。「幾人かのプロデューサーが多くの地域で活動している」のか、を考えながら聞いていくと、その様子は聞き取れなかった。具体的活動は進んでいないんだ。実績は残っていないようだ。
 このように判断して、「ほとんど変わっていない」と発言した。  では私はこの10年間何をしてきたか。私もそれほどのことをしてきたわけではない。強いてあげれば、3つほど上げることができる。
@健康食品の販売活動を試みたが成功しなかった。しかし、健康食品が本当にいいものであれば「125歳まで生きられる」それで 、125歳まで生きる宣言を作った。
A手作り(HTML言語で書いている)のホームページを2つ運営している。  そのうち一つは、自分のホームページの中へ大学の卒業の同期会を入れ込んでいる。数人の人が投稿してくる。 
B「自然放置の健康論」の本を出版できた。(2017年11月7日)
 本の執筆にはほぼ3年かかっている。
 この3項目の実績は、失敗もあるけど、誇ってもいいと思う。
 会合の話に戻って、このグループは10年前と同じ状況である、ということは実績が残っていないということか?こんな状況で、この会合はよく続いているなあ!
 10年前とメンバー数は減っていない。むしろ増えているように感じた。どういうことだろうか。10年間内容ある実績が残っていない。全くないかといえば、現在までグループは存続してきたのだから、やってきたことはあるのである。
 それは何か?
 講師を招いたり、メンバー自身が講師となって、学習会を継続的に開催してきた。学習成果があるではないか、でも、その学習や討論が、いつもスタートの4処でとどまっていたり、学習内容がつみあがっていかなければ、成果は残っていないことになる。
 私が10年前に、この会から離れた事情は、このままこの会にかかわっていると、成果や発展が残らないまま時間が経過してしまうことである。ならば、当時、近所の企業へ行って研修会など売り込んではどうか、という案もうかんだが、売り込みを行う実力も、実力を証明するものも持っているわけでもない。生涯現役の概念だけを述べたところで、それについてのメリットを説明するものも持ち合わせていない。
 それで生涯現役活動を離れた。そしてこの10年間にできた成果は、先の3項目ぐらいだろうか。
 それでも無為の10年と思うよりは確かな実績である。本の出版には満足できる内容であるし、ホームページの運営も時流にあった、安価な自己主張の機会と道具の利用である。
 ここで、私の「10年間成果を出していない人たち」がいまだに参加し続けている根拠を探ってみると、「このグループに参加することが好きなんだ」と気が付いた。つまり「学習会が好きなんだ」。参加していることで、「学んだ気になれる」のではないか、ということである。          (終)                         


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