『 日本を作り変える経済学A 』

            2016.4.28       中 山 明 俊    

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         はじめに:今の日本の問題点を解決する。
         1「日本国政府の大借金1044兆をこうして返す」[ 提言 ]
         2「もっと過酷な条件に立ち向かうことになる今の子供世代」
         3「少子化社会、なぜ子どもを産めないのか?」
         4「25歳から35歳のお母さんを子育て専従者とする」
         5「自由主義経済はどこまで「格差を拡大」させるのだろうか」
         6「日本は人口減少社会に」このまま衰退社会になるのか?

『日本を作り変える経済学A』 目 次
    7「世界の先進国が同時に長期不況の中へ」
    8「老大国」といわれたイギリス経済を立ち直らせたサッチャー
    9「ケインズの一般理論を学んだ」あの理論の学習は鮮烈だった
    10「新しい経済理論が必要か」
    11「中国経済の果たした意味と存在感」について
    12 もうひとつの指標「1人あたりGDP」北欧諸国はすべて高い

         13 「リーマンショックを生んだサブプライムローン」
         14「テロを収めることとエネルギー問題」
★そして、まとめ★


[ 日本を作り変える経済学@ ] 
7「世界の先進国が同時に長期不況の中へ」
 今、世界の先進国はそろって長期不況の状況にある。
 どの国も採られている経済政策の中心は通貨量を増やしたり、金利水準を引き下げたりして、投資を活発にさせようとする刺激策をとっている。しかし、新しく投資して新しく事業を起こそうとするような事業は見つからず、いたずらに市場に資金量をジャブジャブにしているだけの状況である。
 数年前に日本国の製造業を対象に言われたことは、「もうこれ以上は欲しいものがなくなった」であった。つまり、爆発的の消費が伸びるような品物はもう見当たらない、ということで、当然魅力のある新規事業も考えられないし、経済を成長させるような状況は想定できないということである。この状況は日本だけの状況ではなく、世界の先進国がほぼ同じ状況に陥っている。
 せいぜい、雇用統計の動きを注視し、神経質に将来の動きを見付だそうする程度のことしかできていない。
 先進国の経済対策に手詰まり感がはっきりしてきている。
 先進国は軒並み経済の成熟段階に入ってきて新しい活動の糸口が見つからないし、その活力も失われつつあるように思われる。
 G7財務省中央銀行総裁会議がたびたび開催され、強調して何かをやろうという協議は、よく行われるが結論が出て一致協力してこれを実施しようとなったことはほとんどないように思う。
 この段階へきて、現状をブレークスルーする新しい経済学が必要なのではないだろうか?

 現在の世界の経済体制は第2次世界大戦の戦後処理から始まった、と私は思っている。
 戦勝国は戦争被害の賠償を敗戦国に要求しなかった。そして、ヨーロッパの戦後復興を戦勝国の力で遂行しようとして、アメリカがマーシャルプランなるものを提案した。戦後復興の推進の主体は、ヨーロッパ経済機構(OECD)の設立とその運営をヨーロッパの諸国で実施しようと、アメリカは資金援助を提案した。
 アメリカの今後の発展のためにも、早くヨーロッパの復興が必要だという計算が働いていたのであるが、戦勝国が敗戦国の復興の資金までも拠出することは画期的な決断であった。
 この決断は第1次世界大戦終結のとき、敗戦国のドイツに巨額の賠償を請求して、それがドイツにナチス政権を生んだという反省に立っていたことは容易に想像できるが、歴史上かってなかった画期的決断であることには間違いない。
 以後、各国は順調な復興を遂げさらに経済成長をほぼ半世紀の間続けることになる。  その中でも、日本の高度経済成長はすさまじく、エズラヴォーゲル教授に「ジャパンアズNo1」と言わしめた。ヨーロッパでもやはり敗戦国であったドイツが一番の経済成長を上げ、安定感のある経済国家を仕上げてきた。
 その中にあってイギリスだけは、1960年代1970年代に長期停滞に陥って、「老大国」「イギリス病」といわれる状況になっていた。

8「老大国」といわれたイギリス経済を立ち直らせたサッチャー
 イギリスは産業革命期(18世紀末)から19世紀半ばまで世界経済のトップランナーだった。機械工業、鉄工業、石炭業、鉄道や綿工業など、財貨の生産も群を抜いて活発に進められて、イギリス国民に豊かな生活をもたらし、多くの工業製品で植民地との交易を深め、繁栄を導いてきた。つまり「パックスブルタニカ」といわれた時期を作り出していた。
 この豊かさが現実の生活の中に現れてくると福祉国家の方向を求める考え方が広まって、政府の方針に「ゆりかごから墓場まで」の標題を掲げた福祉国家の実現の政策が採られるようになってきた。
 この福祉策の実施と時期を同じくして、徐々に製造業にかげりが見え始めてきた。世界のトップを走り始めた時期から設置してきた設備が老朽化し始め、イギリスに追従したヨーロッパ諸国が、新しく創設した産業設備の競争力が高くなってきた。そのため、イギリスの製造業は凋落の兆候をみせはじめてきた。
 この凋落期は1960年代から1970年代末まで続く。1970年までにGDPがフランスに抜かれ、西ドイツ、日本にも抜かれた。この時期を老大国、イギリス病の時代と呼ばれるようになったのである。
 産業構造から見れば、イギリスは製造業から離れ、比較優位な金融や海運、流通業に産業構成のウエートを移していった。

 この時期以降を担当した政権について見てみると、第2次世界大戦終結直後は保守党のチャーチルが担当していたが、1945年から1951年まで労働党のアトリーが首相を努め、重要産業の国有化を実行した。この51年までは戦後復興の時期で経済の落ち込みはほとんどなく、世界経済全体が好調な時代であった。イギリスのみが経済の停滞を示し、60年に入ってからこの様相はいっそう顕著になってきた。それ以後の政権は60年代70年代、労働党と保守党が交互に政権を担当したが、経済政策の変更は行われず、国有化事業は競争がなく、競争力をいっそう低下させた。一方、福祉政策の財政負担が年々増加していった。また、この時期は労働組合の力が強くなり、ストライキが頻繁に行われており、経済停滞に対して決定的なダメージを与えた。
 この経済の停滞から脱却を図ったのはサッチャー首相であった。サッチャーは1979年に首相に就任するや、国有化されていた産業をすべて民営化した。鉄道、鉄鋼、水道、電力、石炭、自動車生産、通信、航空、道路輸送など、全産業にわたる構造改革で、「大きな政府」から「小さな政府」に切り替え、その劇的な効果はサッチャー革命とまで言われるようになった。歳出削減も厳しく実行した。
 サッチャーは新古典派オーストリー学派の経済学者ハイエクに傾倒し、新自由主義の立場で政策を展開をした。新自由主義はもともと、経済活動は自由放任主義が経済に安定と均衡をもたらすという、どちらかといえば古い経済学へ戻ったことでイギリスの経済力を回復させたのである。
 それでも、サッチャーは、アメリカの大味な生産方式である少品種大量生産方式よりも、高度成長している日本の産業の多品種中量生産に注目し、自動車産業の誘致にも努力した。
 このようにしてイギリスはサッチャー革命によって、完全に復活し、蘇えることができた。サッチャー以後もECへの参加によって経済の安定度を示しており、以後イギリスは、経済に関する限りヨーロッパ大陸の諸国より優れたパフォーマンスを示すようになった。
 「老大国」「イギリス病」の完全脱出である。

9「ケインズの一般理論を学んだ」あの理論の学習は鮮烈だった
 イギリスの復活の中で、古典派経済学と新古典派経済学は同類の経済学についてほんの一部ではあるが紹介できた。現在の経済体制については第2次世界大戦以後の体制から論じはじめた。
 古典派、新古典派の後に、流れの違う経済理論はなかったのか?
 経済活動についても大きなの動きはなかったのか?
 2つの疑問が残る。両方とも重大な事実があったのである。
 前者には、ケインズ経済学の登場であり、後者では、大恐慌に襲われたという事実である。
 まず、工業化が進展すると財がたくさん作られる。需要よりも多くなれば、生産したものが在庫の山となる。作ったものが売れなくなると、それ以上作っても仕方がない。在庫の山が少なくなるために生産を控える。これで景気の上昇と下降が起きる。このようにして景気循環の認識が始まる。
 その上で、経済が拡大すると、取引が増大する。資金量も多く必要になり、資金を借り入れて生産を始めよう。株式で多くのお金を集めようとなれば金融取引も拡大する。株式市場の取引も大きくなってくる。金融関係に加熱が起きれば、やがて投資などどこかで無理をするとやがては、金融で破綻が来る。これが恐慌の原因になる。
 中学か高校の教科書のようなことを書いてしまった。ここは読み飛ばしをお願いする。
 この恐慌が1929年10月24日ニューヨークの株式の暴落で始まった。多くの銀行や企業の破綻が連続し、景気はどん底まで落ち込み、その後、10年間不況が続く。この時点で登場するのが、ケインズ経済学であった。やや強調し過ぎかも知れないが、不況から脱出の経済学として登場した。
 ケインズの「雇用・利子・貨幣の一般理論」(1936年出版)である。

 学生時代に「ケインズの一般理論を学んだ」。特に、乗数理論は経済現象を活き活きと説明してくれたことを思い出す。
 経済ってこういうことだったのだ。それを知ってからはケインズ理論をことさら新理論というのではなく、ごく当たり前の考えとして受け入れ、常識レベル考え方として理解することになった。それほどケインズ理論は明快であった。経済学者の基本的な役割は、世の中の現象・仕組みを理論的に説明し、それを気づかせ、経済社会に道しるべを与えることである。
 ケインズ以前の古典派経済学は、市場は自律的に調整されるため最終的には、あるいは長期的には失業は存在しないと説いていた。しかし、1929年に世界恐慌が起きて、多くの企業が破綻して大量の失業が出た。当時の経済社会を古典派経済学ではもう説明できなくなっていた。そのような経済社会をすべて説明し尽くした経済理論がケインズ経済学であった。さらにケインズ経済学の完璧さは、有効需要と投資理論であって、すぐにでも実行できる経済政策の提言であった。つまり、政府による財政政策と金融政策の必要性を訴えた。
 かくして、それを実行したアメリカのルーズベルト大統領はニューディール政策の実行によってアメリカ経済を見事に立ち直らせた。

 考えてみると、経済社会の現実は、常に現時点の現場でおきていることがテーマである。古典派経済学が説く「最終的には・・・」というような事態は「ない」のである。「経済政策の今をどうするか」が主題なのである。

 いまや世界中の先進国は成熟経済社会に入り込んできた。ちょっとした経済投資が過剰設備になる。金利を下げても、新しい投資は起きないし、有効需要も刺激できない。通貨量を増大せせる政策も、もはや効果がなくなった。だましだまし政策展開をしている過剰流動性も、そのことによって経済・金融の動きを不安定なものにしてきている。

 もはや、ケインズ経済学でも世界経済を救えなくなった。
 もはや、GDP・GNP指標による成長率経済学では現実を改善できなくなった。
 新しい経済理論の展開が必要になったのである。この状況に経済学者の新提案がほしい。

10「新しい経済理論の着眼点は何か」
 先進国がそろって長期不況に入っている。それから脱却するに、「新しい経済理論が必要ではないか」その発想の元、産業革命以後をチラッと考えてみた。また、長期不況から脱却する手がかりを「イギリス経済の復活を参考にできないか?」を触れてみた。
 イギリス経済の復活は、サッチャー革命であったが、サッチャーは非効率な国有化産業を民営化しただけで、新しい経済理論に基づいて歴史的にかってないことを新しく実施したのではなく、自由放任主義の改良版「新古典派理論の自由競争奨励の促進により、大勢の自由な市場参加者による需要と供給の自然調節を図る市場原理に任せて、より緻密な経済活動の実行と活性化を狙ったのである。政府の意図的な経済運営は通貨量の調整を主たる役割とするマネタリズム(貨幣数量説)重視の方策だった。つまり、言い切ってしまえば、基調は「古典派の経済理論に近く、古くから存在する時代への復帰とも取れる政策を実施した、ということになる。
 しかしこれによってイギリス経済は活力を取り戻したのであるから、現今の先進国の長期不況を乗り越えるのにも新しい経済理論は必要ない。既存学説のリニューワル運用で超えられるかもしれないという、私が答えを出したい「新しい経済学説が必要ではないだろうか?」という方向とは違う結論になりそうである。

 経済理論は古典派系の理論とケインズの経済理論のほかに、ハロッドの経済発展の理論だとか、シュンペーターのイノヴェーション理論だとかいろいろあるが、経済政策に示唆を与える理論としてはやはり、古典派理論とケインズ理論である。ここで2つの理論の特徴を整理しておきたい。

          [ ケインズ経済学 ]  |   [ 新古典派経済学 ]
経済原理  政策による介入が必要|均衡原理で安定的に進展する
環境条件  需要不足の状態    |供給が上がれば需要は従う
        失業が常態化した状態|完全雇用を前提とする
経済政策  財政支出で需要を創出|価格調整機能で需給は均衡す
        する            |景気刺激は金利操作と通貨量
                       |調節するだけ

 以上の2つの経済理論を比較してみると、現実の経済は、失業は常態化しており、各国は景気刺激策でとして財政支出による需要創出は行っており、これらの点ではケインズ経済学準拠である。一方、景気刺激は金利操作と通貨量調節が新古典派経済学に準拠して経済運営が進められていると解釈できる。
 前の検討でイギリスの「イギリス病」の脱出のシナリオでも、やれること、どちらの経済理論に準拠するかでなく経済活性化のためにはやれることはやればいい。特に短期的効果のあることは実施すればいい、というのが、妥当な方向付けだろう。
 ここまできてもまだ、「新しい経済理論が必要か」にまだ答えは出ていない。
 ここで中国経済に触れておきたい。

11「中国経済の果たした意味と存在感」について
中国の人たちは経済行為などの倫理観には知的財産権を無視したり、いわゆるパクリをやって偽物をつくり商売をすることは珍しいことではない点など問題行動は多い。それはそれとして、中国は新興国になってから20数年の間に素晴らしい速さで経済発展を遂げ、GDPは2009年にはついに日本を超えて世界第2位に到達してしまった。
 この急成長を可能にした秘密は、外国からの投資資金を導入し、生産過程の技術を習得すれば生産工場を、かなりの速さで拡大していくことができたのである。日本の高度成長は個別企業にとっては借り入れ資金ではあったが大半は自国の金融機関による資金の再投資によって増殖を図り、経済成長を遂げていったため、再投資に時間がかかり、勢いをつけて成長するまでには時間がかった。中国の場合は成長に必要な資金が状況に応じて外国自体が資金投入を実行してしまう進め方であったので育成期間のようなものはほとんど必要ではなく、どんどん成長を重ね、中国の人口の多さは労働力の多さを支え、中国の安い労働力を使って低コストでの製品作りを可能にしてきた。
 また、中国の人口の多さが、全体としての購買力を多くして製品販路の拡大も急速に進行した。しかし、中国の労働力の担い手の所得が徐々に高まると製品の価格競争力も落ち、中国国内の工場での製品つくりの魅力も失われることになる。
 ここ1,2年中国のGDPの成長率鈍化が注目されている。そろそろ中国は投資先としての役割を終えることになる。同時に成長率の鈍化は、生産設備が過剰になっていることをあらわしている。今後、中国経済は凋落の道をたどり始めたことになる。他の先進国が長期不況に入り込んでいる。その仲間入りをすることはそれほど遠い将来ではなさそうである。
 言いかえると、資本主義は宿命として常に拡大成長するフロンティアが必要なのである。つまり自国の経済活性のために交易相手国のような他の国の経済活性が必要なのである。中国はその最後の国だったのではないか。今、世界には多くの新興国があるが、中国ほどに世界経済に影響を与えるような経済規模を期待できる国はもはやなくなったのではないか。
 考えてみるとまだインドがある。でも、インドが世界に影響をあたえるような形になるか、「それはいつごろか」その見当は現時点まだは見えていない。

12 もうひとつの指標「1人あたりGDP」北欧諸国はすべて高い
 豊かさの指標に「1人あたりGDP」がある。これを見てみると興味深い答えがでた。
 それは「北欧諸国が上位10位の中に4か国も入っている。
  1位・ルクセンブルグ  11.9万USドル  48万人
  2位・ノルウエー★    9.7        516
  3位 カタール       9.4        93
  4位 スイス        8.6        751
  5位 オーストラリア   6.1        2400
  6位・デンマーク★    6.1        563
  7位・スウェーデン★   5.8        975
  8位 サンマリノ      5.7          3
  9位 シンガポール    5.6        547
  10位・アイルランド★   5.4         431
 北欧諸国はいずれも小さな国で、人口が少ないから有力な企業数社を世界的な規模に育てれば、それだけで、1人あたりのGDPは世界のトップクラスになるという評論家の指摘があるが、小国が共通して「1人あたりGDP」が世界のトップとして列挙できることは考えるべき方策があるだろうと考えた。
 北欧諸国は1990年代初めに金融バブルが崩壊し、急激な景気後退に見舞われた。そのときこれらの国は新しい国つくりをはじめた。ルクセンブルグは鉄鋼業から金融立国へ。アイルランドは外資を誘致して情報通信産業、医薬、金融業を重点的に活性化させた。デンマークは風力発電機の製造世界一、そして製薬、バイオ産業に狙いをつけて構造改革を進めた。
 これらの国々は、金融バブルの前は比較的平穏な経済政策で、財政投資も行い、それなりに財政赤字を抱えていたが、改革後は多くの国で財政赤字は解消しており、優良小国のを作り上げてきた。
 特に特徴的なことはスムーズな事業転換を非常にうまく実行したことである。事業経営の継続が困難と考えられる企業は延命を図ることなく、早めに撤退を決め、付加価値の高い業種への転換を速い速度で行うことができ、成長力のある産業構造を常に維持できる仕組みが出来上がってきた。
 また従業員は失業保険を受け取りながら行政の次に就く職業訓練の指導を受け、新しい就職先も斡旋してもらうまでフォローを受けられるよう制度化されている。これだから働く人は不安なく職業転換に臨むことができるということである。この従業員への政策でどの国も概ね完全雇用を達成できているという。
 完全雇用はいい響きの言葉であり、かつての日本の好況期は概ね実現できていた。当時の日本は終身雇用と対であったが、北欧は労働の流動性は高いという。しかし、失業しても、次の就職について必ず行政のサポートが実施されるのだから、安心感がある。  また、国の重要な決断は国民投票のような手続きでコンセンサスを採るような方法も実施している。

 このように見てきたとき、北欧の構造改革は特別な手法や、経済理論を持ち出したわけでなく、もともとの小国であるという特徴を活かして国の運営体制を作り上げたということで、ことさら自由主義、あるいは競争が必要などと言わずに、国家運営に必要なGDPは得られる。かえって事業転換を変わり身のよさで実現することはやりやすいということになる、と解釈できる。
 それに引き換えヨーロッパの先進国や日本は、フルラインの産業体制を常備している。企業撤退や新規事業着手はそれほど容易ではない、といえよう。しかし、都道府県の規模を一国の単位に置き換えて考えてみれば、地方自治を大幅に認めれば、日本でも北欧並みの経済活動が実現できると考えられるがいかがだろうか。北欧並みの成果が出るのではないかという思いにたどりつく。
 ひとつの産業分野で実験をはじめるとか、モデル地域を指定して北欧方式を実験すれば思わぬ学習効果が出るのではないだろうか。
 ここでも新しい経済学を登場させずとも、さらに成長を遂げることはできるかも知れない。

                    (日本を作り変える経済学A終わり)


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