『 アベノミックスではデフレ脱却できなかった 』

2017年4月15日  中山 明俊



1・最近大阪万博開催の声が聞こえてくる。
 2020年には東京オリンピックが開催される。それに対抗して「大阪万博」が叫ばれ始めたのだろう。結構なことである。東京に対して大阪万博は当然の出来心であるが、1964年のオリンピックと1970年の万博は、私たち世代には輝かしい時代の輝かしいイベントであった。特に高度成長の真っただ中の思い出である。その先でエズラボーゲルにジャパンアズナンバーワン(1979年)と言わしめた時代に入っていくのである。
 2つの大行事から50数年過ぎた今、あの時の躍動ある時代を再び呼び戻したいという願望はよく理解できるが、取り巻く環境があまりにも違いすぎる。「夢よもう一度」を狙う人はそのことをよく考えてほしい。何を作り変えれば、当時の活気あるエネルギーが取り戻せるか。ただ単にイベントを開催すれば期待どおりの状況になるか、企みは失敗になるか、明らかになるのである。

2・1960年代の後半はものを作ればそれだけ成長する時代だった
 この時代、企業には活気があった。ものを作ればすべて売れる時代であった。生活に必要なものはどんどん生産され、生活は上へ上へと豊かになっていった。
 企業の業績が上がれば、それだけそこで働く人の収入も増え、ものを買うお金も増えれば、購買力が上がり、企業の製品も売れ続ける。企業の成長と働く人の豊かさが同期していた。
 そして、この良好な関係が長く續くと信じていた。当時いわれた言葉に、高度経済成長と同時に、「国民総中流(階級)」がある。「国民総中流」今思えば、この言葉こそ、日本経済を支える中心思想ではなかったか。「総中流」、すべての人が概ね中流である。突出して富裕でもなければ、貧困でもなかった。働けばそれだけ豊かになれる。これが信じられれば、国全体がパワーに満ちた社会になる。
 東京オリンピックと大阪万博はその象徴であった。2020年代に当時の状況と同様の状況を現出したいという願望が「大阪万博再現願望」ではないか。

3・「国民総中流」の再現は可能なのか
 高度成長期の社会の状況と現在は大きく違っている。
 まず、高度成長は17年3か月間続いたが、1991年3月のバブル崩壊をきっかけに失われた10年、さらに失われた20年と言われる、長期不況が續き、この間に日本の経済構造は大きく変わってしまった。現在に至ってもまだデフレ脱却はできたとは言えない状況である。安倍総理の登場によって「アベノミックス」の経済政策を展開し、デフレ脱却に努めてきたが総理就任から4年3か月過ぎても、その成果は、企業収益の増加はある程度達成できているが、問題は人手不足と言いながら、働く側への配分は増えていない。その元凶は雇用状況で正規雇用が減少の一途をたどり、派遣社員が定着してしてしまっている現状である。不安定な労働環境のなかで働くしかなく、収入増の実現はほとんど不可能に至っている。結果として、所得格差は一層その差を広げ、富裕層と貧困層の分断が一層深まってしまった。

4・所得格差は自由競争中心主義経済の当然の帰結ではないか。
 中間層の喪失は現状経済の行き着く先である。金融経済が世界を席巻し、お金を中心に据えた経済のグローバル化は、勝者と敗者をはっきりとさせ、勝者はますます強く、敗者は次第にその数を増し、限りなく貧困への道をたどっていく。結局、経済活動の原動力であった中間層は、徐々に敗者の側へ吸い寄せられて、経済社会のパワーは、消え去ってしまった。
 この論調は、2016年12月26日読売新聞の「思潮」『中流層の没落、民主主義の危機』で明らかにされている。戦後の西側諸国はファシズムを生み出した反省や共産主義の脅威から、経済的な自由放任主義を抑制し再分配政策を強化。増加した中流層が民主主義を支え、成熟させた。だが石油危機などで再分配の歯車が狂い始めると、国家は国有部門からの撤退や財政支出の削減などの新自由主義的改革を迫られ、中流層も没落していった、という。
 この論調の主題は政治のテーマとしての民主主義の危うさについてであったが、その中でも、「国民大多数の可処分所得を引き上げなければ経済は活性化しない」と指摘している。

5・アベノミックスの到達地点は1億総活躍社会か。
 1億総活躍社会か実現したとき、「私は何しているか?」
 1億総活躍社会の計画は@1億総活躍プランA骨太の方針B規制課改革実施計画C日本再興戦略2016からなり、新聞1面にびっしり記述してある。しかし、国内総生産(GDP)600兆円実現のため企業の内部留保を未来への投資に振り向ける。官民で有望市場を創出する。とあるがGDPをどのようにして600兆円にするかもわからないし、600兆円を達成できた日本社会はどのような社会か、その時私たちは何してるだろうか?そのときはどんな暮らししているか?などなどのイメージを描くことができない。それは、1億総活躍社会の記述に具体性がないからであり、総活躍社会へのロードマップがないからである。
 さらに「アベノミックスは大きな成果を生み出したが世界経済の下方リスクと脆弱性が高まっている・・・」この論法はすべて悪い要因は海外にあるといっている。かつて、伊勢志摩サミットのとき世界経済は不透明感が迫っているいって、各国首脳を戸惑はせたと同様に今回も「悪いのは世界経済の不安だ」と、責任転嫁をしている。アベノミックスは成果を出していると自画自賛しているのは、安倍総理だけであり、日本経済の消費動向は一向に活気を示さず、デフレ経済からいまだ脱却の実感をもたらしていない。
 安倍総理はすり替えとウソを声高に言うことで国民に錯覚を呼び込んでいるだけのことである。

6・いま望まれることは活気ある中間層の創出であり、
                   活発な消費活動の実現である。
 それには、国民大多数の可処分所得の引き上げであり、それによる経済の活性化しかない。
 過去に、収入が少なく不安定で子供も産めないと言わしめた「労働層を含めた中間層の復活」がここでは喫緊のテーマである。
 そうなれば、良好な経済循環は確保され、安定した活力のある社会生活が実現するだろう。
 そして、復活した中間層が自ら求める新しい社会の欲求を実現してくれるだろう。そうなればかつての高度成長とは違う形の豊かな、希望に満ちた、全国民がかかわりを持った「21世紀型の日本の社会構造」が生まれてくるだろう。
 そうなれば、オリンピックや万博による経済の活性化誘導期待も、もはや不要となろう。
   


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